部屋には、苦いコーヒーの香りと、甘美なベリーの香り、そして香ばしいパンの香りが漂っていた。
望ましい朝食の香り。
…しかし、部屋の空気は乾き、悲痛を訴える声が響く。何とも言い難い重い雰囲気が流れていた。
『っ……嫌で、す…大統領…っ、』
「…嫌？そんな筈はないぞ。君は私に忠誠を誓った、違うかね？」
『ですが…うっ…こんな、こと…ッ、いけませ、んっ…』
しわひとつ無かったベッドのシーツは今は酷く乱れ、整えられていた掛け布団は床へと半分落下していた。
そのベッドの上、女の頬を涙が流れていく様を、組み敷いた男は綺麗に口角を上げて眺めている。
「ンン、その涙も、なかなかカワイイな。…。」
「うっ…く…どうか…どうかもう…お許しを、大統領…」
とめどなく涙するハウスメイドの。
上から眺めるアメリカ合衆国大統領・ファニーヴァレンタインは、を押さえつけた手と反対の手袋を八重歯で噛んでスルリと外し、ベッドの縁へ放ると、その涙を人差し指の背で拭ってやった。
その仕草はどこまでも甘さを含んでいたが、彼の視線はどこか冷たさも持っていた。
「、君は私を受け入れている。許すもなにも…何か私に詫びることがあるのか？」
『ちが…っ、違いま、す…っ、』
「ならば、許して、などと言うのは間違いだ。ン？分かるかね？」
ヴァレンタインは、権力に自らの色気を纏わせて、涙するに向けて言葉を投げる。
指先での涙が溜まる目尻を撫で、綺麗に纏められた濡羽色の髪の毛をゆっくりとした仕草でほどいていく。
どうして、こんなことに…？
異様な状況に頭の中がぐちゃぐちゃのは、ヴァレンタインの冷たい瞳に怯えて更に涙を流しながら、疑問を浮かべていた。
いつもの通り主人であるヴァレンタインの部屋に朝食を届けに来ただけ。
朝食の説明と、ベッドメイク。少しの癒しをもたらす会話を交わし、すぐに仕事に戻るはずだったのに。
身分違いなハウスメイドの自分にいつも声をかけ、労ってくれる大統領…叶わないと頭でわかっていながらも、密かに慕っていた、主人。
そんな優しい彼が、どうして？
ーブチブチッ
頭に疑問を巡らせていたを現実へ引き戻したのは、ヴァレンタインが給仕服であるワンピースのボタンを引きちぎる音だった。
気品のあるパールのボタンが弾け、真っ白なエプロンごとワンピースを左右に開かれる。
白い首筋から、デコルテ、下着に隠れた胸が、ヴァレンタインの前に曝された。
は驚いて反射的に手足をバタつかせて暴れるが、ヴァレンタインはそれを軽く押さえ付ける。
『やっ…いや…やめて、下さいっ…大統領…』
「君は派手さはないが、その清廉で慎ましいところがとてもいい。私は君のそういうところを、とても気にいっているのだよ。」
『うっ…やめて…』
普段の仕事を褒める時のように、優しい声で囁くヴァレンタイン。
金色の巻き毛がゆらりと揺れて、泣きじゃくるの肌に落ちる。
その柔らかい感触は、恐怖に震える心を撫でるようだ。
「だから、暴れたりはしないでくれるか？君には、いつもコーヒーを運んでもらうように慎ましく、初々しくあって欲しいのだ。」
乱された給仕服に、ほどかれた髪…
蹂躙され涙で濡れる頬に、ヴァレンタインは自らの頬を擦り寄せるように、の耳元で甘く囁いた。
彼の指先は、の髪を梳くようにゆっくりと頭を撫でる。
だが、の涙は止まることなく、力無く、抵抗は続く。
『大統領…お願い、します…どうか…どうか、おやめ下さいっ…』
「……君、聞いているのかね？返事が聞こえないが。」
ヴァレンタインは、顔を上げ、声のトーンを下げた。
の頭を撫でていた手を止め、彼女の肩を押さえつける腕の力を強める。
ヴァレンタインに押さえつけられた場所に痛みが走る。
彼の瞳にまた冷たさが溢れ、背けた顔も無理やり正面を向けさせられる。
「口答えはあまり関心しないな。」
『…っう、ぅ…も、申し訳、御座いません…』
「いつも通り出来るか、と、私は問うたのだが。」
『…っ、………は、い…大統領…』
強張る身体と、溢れ出る涙。
強く詰め寄られたは、恐怖で、抗う言葉も飲み込んだ。
ヴァレンタインは押さえつける力を緩めると、再び溺愛する娘にするように優しく、の髪を撫で始めた。
「そう、いい子だ…私の愛らしい、…」
『っ…、…』
ヴァレンタインの瞳に、また愛おしむような色が滲む。
彼は先ほど同様、うっすらと薔薇色に染まったような肌へと顔を近づけ、甘くキスをし始めた。
頬から、首筋へ…首筋から鎖骨を滑り…そして、胸元へ。
傷ひとつない、陶磁器のようなの肌に、鬱血痕が散らばっていく。
『ンン…なんて美しい。君の肌はしっとりとして、さながらフルーツを口にしたように…実に甘美だ。』
ヴァレンタインの髪の柔らかな感触、愛でられていることが肌から伝わるように撫でてくる指先、そしてとびきり甘く囁く声…
これが、何の後ろめたさや恐怖のない男女関係であれば、どれほどにきらめく時間であっただろうか。
そう思い、または一筋涙を流した。
心臓の真上の辺りに、ぴり、と痕を付けられる感触の後、ふとヴァレンタインは、あぁ、と声を発し顔を上げた。
「…そう言えば、ラズベリーのジャムを作ったと言っていたね。」
ヴァレンタインはの潤む瞳を見つめながら、突拍子のないことを言う。
は、ついさっき部屋に朝食を届けた時、ヨーグルトには自家製のラズベリージャムをどうぞ、と説明した折に、彼が旬のラズベリーか、美味しそうだ、と言っていたのを思い出した。
『…は、い…朝食に…お持ちしました…』
また彼の冷たい視線を浴びるのが嫌で、は震える声ではあったが、極力普段通りになるよう返事をした。
その声にヴァレンタインは、ベッドのサイドボードに置かれた朝食のプレートへと目線を向ける。
そこには、コーヒーとトースト、ヨーグルト、そしてが作ったラズベリージャムが品良く並んでいた。
「あぁ、せっかく君の運んでくれた朝食が、冷めてしまうね。」
ヴァレンタインはそう言って、の滑らかな頬を一撫ですると、冷めかけたコーヒーを口にした後、ココットに盛られたラズベリージャムを指先で掬って自らの口に運んだ。
「……んん…、美味い。酸味と甘味のバランスも、舌触りもとても良い…。」
ラズベリージャムを堪能したヴァレンタインは、そのココットを手に取り、もう一度指先でその深緋色のジャムを掬う。
「…君も、どうかね？」
ヴァレンタインの口調は甘い響きであったが、その言葉は否定を許さぬ色を持っていた。
は逆らうことも出来ぬまま、ジャムの色に染まった彼の指先を口に導き入れた。
恐る恐る、ヴァレンタインの指先に舌を這わすと、甘酸っぱい風味が鼻を抜けていく。
すぐにヴァレンタインは指先をの口から離すと、次はジャムの中からラズベリーの果肉を摘んで、先ほど同様にの前に差し出す。
言葉は無いが、ヴァレンタインは薄っすらと笑みを湛えている。それはもちろん、口に入れろという命令を意図していた。
は目を伏せて口を開き、再び彼の指先を口に含む。
ラズベリーの果肉を食めば、種の食感が弾むように楽しく、溢れる果汁は甘く豊潤な香りがした。
…今のにはそれをゆっくり感じる余裕は無かったが、その果実の豊かな風味は、彼女の恐怖に凍った気持ちをもゆったりととろけさせた。
「…どうかね。」
『…んっ…！』
ヴァレンタインは恍惚とした表情で、の口に入れた指先に力を入れた。
遠慮深く舐めていた舌先を弄ぶように、の口内をかき混ぜる。
突然のことには小さく呻くが、どうにも出来ずにただ蹂躙される。
息が苦しくなり、更に、遠い存在であった主人の指先を舐めさせられるという異常な状況に、もうの頭の中はぐちゃぐちゃで、朦朧としてくる。
彼女の中で、整理のつかないことが、涙と共に全て流されてしまう。
残るのは、秘かに慕っていたヴァレンタインへの想いと、甘く濃厚なラズベリーの風味だった。
「……いい子だ…さぁ、私の指先を綺麗に出来るね？」
『んっ…は、い…大統領…』
ヴァレンタインはラズベリージャムに負けぬ程に甘くとろけるような声音でに囁きかける。
「ンン、そうだ…従順で、それでいて慎ましい。君の素晴らしく魅力的なところだぞ、…。」
はぼんやりとした表情のまま、彼の指先に残ったラズベリージャムを余すことなく舐め取って行く。
ヴァレンタインは満足そうに笑うと、の口から指先を引き抜き、ラズベリージャムが溢れ深緋色に色付いた唇に口付けた。
ジャムを舐め取るように、舌先で唇をなぞり、八重歯を立てて甘噛みする。
同時に彼はロングスカートへ手を差し入れ、ビスクドールのように滑らかな肌を擽るように、の脚を撫でて行った。
泣き声と悲痛な声は、もうの口から発せられることはなく、代わりに熱の篭る吐息が吐き出される。
ヴァレンタインは顔を上げ、の頬を包むようにして撫でながら、恍惚とした表情の彼女に問うた。
「…、さぁ、これからも私の言うことが、聞けるかね？」
END
(2014.08.24 by69）